まとめと感想: 石井栄一『ベーコン』
まとめと感想: 石井栄一『ベーコン』

まとめと感想: 石井栄一『ベーコン』

 ベーコンの帰納法が具体的にどんなものだったのかが気になったので、読んでみた。非常に丁寧に書かれた素晴らしい本であった。

 以下、私が気になった箇所を簡単にまとめる。また、明確にまとめと区別せずに感想も書いている。

フランシス・ベーコン

 フランシス・ベーコン(1561-1626)は、学問の新しいあり方を明確に提示し、17世紀科学革命に大きく貢献した人物のひとりである。そのことを提示した本が『大革新』(1620)である。そして、『大革新』の第二部として出版されたのが『新機関(ノヴム・オルガヌム)』(1620)であり、ここにおいてベーコンの帰納法が詳しく論じられている。つまり、ベーコンは『大革新』で「学問の新しいあり方」を示し、『新機関』で「新しい学問にふさわしい新しい方法(帰納法を重視した論理学)」を示した。

新しいオルガノン

 『新機関』は、アリストテレスの『オルガノン(論理学、機関、道具)』に抗して、新しい論理学を提唱することを意味している。ベーコンにとって、「諸学問の正しい真の目標は、人間の生活に新しい発見と力とを与えること以外の何ものでもない」ため、それを実現するためのオルガノンが必要であった。そのオルガノンが帰納法を軸とした論理学である。ベーコンのアリストテレス(から影響を受けたスコラ哲学)に対する最大の批判は、アリストテレスのオルガノンは、「新しい発明・発見」に対して全く無力であったことである。演繹法と帰納法の区別をしたのはアリストテレスであったが、しかし、彼は帰納法を重視し、ベーコンの主張する形で洗練させることなかった。

論理学の三つの要素

 ベーコンの論理学は次の三つの要素で構成されている。
1,破壊的部分:偏向し歪んでいる人間の精神を正しくすること。
→イドラ論へ
2,補充的部分:人間の精神の能力の弱点や欠陥を補助し補充すること。
→感覚と記憶と理性の強化と補充
3,建設的部分:発見の積極的な方法によって理性を援助すること。
→新しい帰納法

 1,破壊的部分に関して。論理学の一環としてイドラ論を論じているということをはじめて知った。イドラ論は、「知識の主観に属するものと、宇宙に属するものとの間を区別する試み」として、批判哲学の萌芽とも哲学史上捉えられているようだ。正直、イドラ論をはじめて習ったとき(高校倫理)は、こんな当たり前のことをなぜ習うのか、と思ったが、論理学の一要素であること、歴史的背景(スコラ哲学批判)を考慮すれば、習うにふさわしい議論であったと納得できる。

 2,補充的部分に関して。例えば、望遠鏡や顕微鏡を用いることなどがそれにあたる。また、主観的な要素を自然に混ぜないために、適切な自然史と実験史を準備しておく必要があることを指摘している。そして実際に、自然史と実験史の収集をし、いくつかの著作を出版している。

 3,建設的部分に関しては、続く節で。

ベーコンの帰納法への批判

 ベーコンへの批判は、科学における演繹法と数学の軽視が挙げられる。さらに帰納法への批判に関しては、仮説の役割を軽視したことが主な批判点である。ベーコンは、彼の帰納法を使えば、つまり彼が示す形式で、事実を並べれば、自ずと法則を発見することができると考えた。したがって、

自然史と実験史がなければ、たとい全地球が哲学の研究のための学寮に変わったとしても、何ものも起こらない。反対にこれらが完成されたならば、自然や学問についての探求は、二、三年の仕事である。

『自然史と実験史に対する安息日の前日』石井訳

と豪語している。しかし、ある法則の発見は、事実を眺めていれば思い浮かぶものではないだろう。長いが、以下適格な批判を引用する。

ベーコンも熱の形相を暫定的な仮説と考え、実験によって修正を加え、しだいに完全なものに近づけるものと考えた。しかし、ベーコンに欠ける仮説というのは、かれが経験あるいは実験の諸事実から機能的に導いた一つの結論を、仮定的なものと考える、という意味のものではない。ベーコンに欠ける仮説というのは、帰納的手続に先立って収集する事例が適切か否かを選別するために必要な仮説である。あるいは、ガリレイやニュートンのように、少数の事実によって建てられ、後に経験的に検証されるような仮説である。[…]あるいはまた、ダルトンが原子説によって、すべての科学的現象を説明したように、一定の現象を統一的に説明するための仮説である。

『ベーコン』175

 

ベーコンの帰納法

 それでは、以上のような欠点をもつ彼の帰納法はいかなるものであったのか。単純枚挙すれば自ずと法則が導き出されると考えるのが彼の方法である、と表現されることがある。上の欠点を強調すればこの指摘は正しい。さらに、自然史と実験史を収集することを彼は主張しているし、それが彼の帰納法の重要な要素でもある。しかし、ベーコンは彼以前の帰納法を単純枚挙の帰納法と批判し、彼の帰納法はそれとは一線を画すと考えていたことを考慮しなければならない。

 ベーコンは事実を単純枚挙するのではなく、展示の表と排除の表を用いることで、従来の帰納法とは区別されると考えている。特に排除の表が重要である。これにより自ずと法則が導き出されると考えていた。彼は熱の例によって説明しているのでここではそれに倣う。

 彼はまず次の三つの仕方で展示の表をつくる。
1,熱の存在する数多くの事例の収集
2,1に似ているが、熱の欠如している事例の収集
3,熱が異なった程度で存在する事例の収集
 1,に関しては太陽などが挙げられる。2,に関しては、月(太陽のように光るが熱をもたない)が。3,に関しては、摩擦熱は摩擦の強さによって異なるなどの、同一のものでの熱の増減の比較と、摩擦熱や動物の熱などの異なったものにおいての熱の度合いを比較することが挙げられる。

 次に排除の表をつくる。ここでは熱の形相に関係しないような性質を排除する作業となる。例えば、鉄を熱しても重量の変化がなければ、熱の形相から重さを除くなど。熱の存在する場合には見出されない性質、熱が存在しない場合に見出される性質、熱が増加すると減少する性質、熱が減少すると増加する性質を排除する。

 以上の二つの表によって、ある事柄に関する定義、すなわち「知性の免許」ないし「解明の端緒」が得られ、次に実験によりそれが修正され完成するとしている。

 しかし、科学者が実際にこのような方法によって科学法則を発見したかと言えば、そうではないことは明らかだろう。この点は仮説的な視点に関する批判に繋がる。

法則と形相

 以上が科学的法則を導くベーコン帰納法でであるが、しかし、このやり方は、法則を導くのではなく、ある事柄の本質(形相)を定義するやり方であることがわかる。この点においてベーコンはアリストテレスの図式から完全に離れているわけではないと言えるのではないだろうか。このように実体形相論が混じった科学に関する説明は当時多く見られた。

感想

 ベーコンの帰納法が単純枚挙の方法であるという批判はよく見かけるが、しかしベーコン自身は単純枚挙の方法を批判しているので、前者の批判の正当性に関して気になっていた。そのことが解消した。
 また、アリストテレスとの違いと、どの点がスコラ的であるのかが明確になった。当時思弁に対して、事実が強調され、それに伴った方法の改変があった。それを初めて明確に取り出したのがベーコンであり、彼は科学革命に寄与した。しかし、彼はその端緒であって、科学の方法を精確に描写するまでに至らなかった。

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